黒鷺死体宅配便 フルカラー版 都市伝説編【タテスク】 Chapter7

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大塚英志


大塚英志は、日本の評論家、研究者、漫画原作者、小説家、編集者、元漫画家です。1958年8月28日、東京都田無市生まれです。2012年から2024年まで国際日本文化研究センター研究部教授を務め、現在は同名誉教授です。2006年から東京藝術大学大学院映像研究科兼任講師も務めています。妻は漫画家、小説家の白倉由美です。2015年より研究誌『TOBIO Critiques』(太田出版)を私費で刊行しています。

生い立ち


大塚は高校時代から漫画家をしていました。大学卒業後は編集者となり、その後、漫画原作者、評論家、小説家、大学教授になりました。高校生の時には漫画家のみなもと太郎のアシスタントをしていました。高校2年生の時に、みなもと太郎が締め切りに間に合わなかった連載の代理原稿に自分が描いたギャグ漫画が採用されたのがきっかけで、ギャグ漫画家としてデビューしました。しかし、大学受験を機に漫画家を引退しました。
高校時代に柳田國男の『雪国の春』を読んで感動したのがきっかけで、筑波大学第一学群人文学類に進学しました。大学では民俗学者の千葉徳爾と宮田登の指導の下で日本民俗学を学びました。大学在学中に徳間書店の雑誌『テレビランド』で漫画家のアシスタントのアルバイトをしていました。

1980年代


1981年3月、筑波大学を卒業しました。大学院への進学を断念し、徳間書店の雑誌『リュウ』で編集者のアルバイトを始めました。その後、徳間書店の契約社員の編集者となり、1981年から1988年まで働いていました。
大塚は最初の半年は、『リュウ』の編集長格の校条満に編集者の仕事を教えてもらいました。その後、石ノ森章太郎、モンキーパンチ、安彦良和などの漫画家の原稿の受け取りの仕事を担当しました。
1982年、徳間書店の美少女漫画雑誌『プチアップルパイ』の創刊編集長になりました。同年、憧れの編集者だった末井昭の下で働こうと思い、徳間書店との兼業で白夜書房のフリー編集者として働き始めました。
1983年春、日本で2番目となる成人向けロリコン漫画雑誌『漫画ブリッコ』の編集人になりました。大塚は『漫画ブリッコ』にて友人でもある漫画家のかがみあきらの『ワインカラー物語』(「あぽ」名義)の連載を担当していました。
1984年、白夜書房が経営する漫画専門書店『まんがの森』の立ち上げに参加しました。同年、徳間書店にて校条満と共に、少年向けマンガ雑誌『少年キャプテン』立ち上げに参加しました。しかし、同年8月9日にかがみあきらは自宅で急死してしまいます。
翌1987年、漫画評論『「まんが」の構造――商品・テキスト・現象』(弓立社)で評論家としてデビューしました。同年、角川書店の雑誌『マル勝ファミコン』にてファンタジー漫画作品『魍魎戦記MADARA』(作画:田島昭宇、世界設定:阿賀伸宏)で漫画原作者デビューしました。
1988年、評論『少女たちの「かわいい」天皇』(『中央公論』1988年12月号掲載)で29歳で論壇デビューしました。

1990年代


1990年から1997年、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の裁判の一審で犯人の特別弁護人を務めました。
1992年、太田出版より「太田COMICS芸術漫画叢書」というレーベルを立ち上げ、吾妻ひでおの漫画『夜の魚』、『定本 不条理日記』の二冊を刊行しました。
同年9月14日、角川書店社長角川春樹が、角川書店副社長であり大塚の上司でもある角川歴彦を、角川書店副社長職および角川メディアオフィス社長職から解任して、角川書店から追放しました。角川歴彦は直ちに角川書店の子会社の角川メディアオフィス全社員71人のうち、70人の社員を引き抜いて出版社メディアワークスを立ち上げました。
大塚は角川歴彦が解任されたその直後から、角川書店で仕事をしている作家やライターと、独立構想と独立後の版権移動について交渉を開始していました。大塚は、メディアワークスの資本金の一部の資金調達も行っていました。
1992年10月に、角川書店の子会社の角川メディアオフィスの全社員71人のうちの70人が、角川書店本社に事前予告なしで突然一斉に退職しました。大塚は日本の天皇制を題材にしたSF漫画『JAPAN』(作画:伊藤真美)、柳田民俗学を題材にした伝奇漫画『北神伝綺』(作画:森美夏)、巨大な壁で封鎖された都市で17歳の少年少女達が大人たちと戦争させられる『東京ミカエル』(作画:堤芳貞)といった自分が本当にやりたかった漫画を角川書店の雑誌『月刊コミックコンプ』に連載させることができました。
1993年8月29日、角川書店社長角川春樹が、コカイン密輸事件で麻薬取締法違反・関税法違反・業務上横領被疑事件で千葉県警察本部により逮捕されました。これにより角川歴彦の角川書店への復帰が決定し、同年10月角川歴彦は角川書店代表取締役社長に就任しました。
1994年、評論『戦後まんがの表現空間――記号的身体の呪縛』(法藏館:1994年) でサントリー学芸賞を受賞しました。
1997年、角川書店の雑誌『月刊少年エース』1997年2月号よりサイコサスペンス漫画『多重人格探偵サイコ』(作画:田島昭宇)を開始しました。同作は連載が19年続くヒット作となり、大塚の漫画原作者としての代表作の一つになりました。

2000年代


2000年、テレビドラマ『多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還』(キー局:WOWOW、放送期間:2000年5月2日 - 5月7日、全六話、監督:三池崇史)を原作・企画・脚本・プロデュース・キャスティングしました。
同年、角川書店の雑誌にてホラー漫画作品『黒鷺死体宅配便』(作画:山崎峰水)を開始しました。同作は連載が20年以上続くヒット作となり、大塚の漫画原作者としての代表作の一つになりました。
2001年から2002年にかけて、論壇誌『中央公論』紙上にて、「夢の憲法前文をつくろう」と題した日本国憲法の前文を自分の言葉で書くという読者参加型投稿企画を連載していました。
2004年3月、和光大学がオウム真理教教祖麻原彰晃の三女を入学拒否した事件で、大塚は同年3月に和光大学に抗議して同大学の非常勤講師職を辞職しました。
2005年7月5日、文学者の中上健次の未発表だった未完の長編小説『南回帰船』の所在不明になっていた原稿を発掘して角川学芸出版より自費出版で刊行しました。
2006年4月から2013年3月まで、神戸芸術工科大学先端芸術学部メディア表現学科教授を歴任しました。
2007年、評論『「捨て子」たちの民俗学――小泉八雲と柳田國男』(角川選書:2006年)で、第5回角川財団学芸賞を受賞しました。
同年7月、勤務先の神戸芸術工科大学で博士(芸術工学)の学位を取得しました。

2010年代


2012年、国際日本文化研究センター客員教授就任。
2013年4月から2014年3月まで、神戸芸術工科大学大学院芸術工学研究科総合アート専攻特別教授を歴任しました。
2013年10月から2024年3月まで、国際日本文化研究センター研究部教授を歴任しました。
2014年から2016年まで、東京大学大学院情報学環角川文化振興財団メディア・コンテンツ研究寄付講座特任教授を歴任しました。
2012年から、海外でまんが表現を教育するネットワーク「世界まんが塾」を、神戸芸術工科大学での元教え子の浅野龍哉・中島千晴らと運営しています。
2014年5月14日の角川書店とドワンゴの経営統合発表時には、同年5月17日に星海社ウェブサイト『最前線』に評論『企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ』を投稿して、合併を批判しました。
2015年より、海外の若手まんが・アニメ研究者に研究発表の場を提供する研究誌『TOBIO Critiques』(太田出版、2015年 - )を私費で刊行しています。

2020年代


2020年、大塚は「日文研大衆文化研究プロジェクト」の編纂委員会の委員の一人として、歴史教科書『日本大衆文化史』(KADOKAWA:2020年、序、4-7章執筆)と、その副読本『日本大衆文化論アンソロジー』(太田出版:2021年2月5日)の執筆・編纂に参加しました。
大塚は、近年では日本のサブカルチャーやメディアミックスについて、独自の視点から分析をしています。また、大学教授として、次世代の漫画家や研究者を育成することにも力を入れています。
大塚英志は、漫画原作者、評論家、小説家として、日本のサブカルチャー界に大きな影響を与えてきました。今後も、彼の活動から目が離せません。
価格:
66円
配信開始日:
2024-07-15 00:00:15
シリーズ:
黒鷺死体宅配便 フルカラー版 都市伝説編【タテスク】
出版社:
KADOKAWA
作者:
大塚英志

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